考古学者について~三木玲治・史学家~



カテゴリ:三木玲治( 17 )


遺跡発掘の現状を三木玲治が報告

遺跡発掘の現状を三木玲治が報告

移住宣言から約1ヶ月。余市での生活も順調そのもので、軌道に乗り始めました。
そして、生活の基盤のともなるべき「仕事」ですが、北海道での最初の仕事は教師としてではなく・・・

町の教育委員会の募集を見て応募。約10倍の倍率でしたが運良く採用となりました。
5月10日より10月31日までの半年間の仕事となります。場所は余市川河口にあります大川遺跡。
海のすぐそばで、近くにモイレ山がそびえ、カモメが空を飛ぶ環境の良い所です。
ここは1989年から10年間かけて付近一帯を発掘しているそうです。
これまでに、土器はもとより、石器、玉類、金属、陶磁器、古銭、骨、貝などが続々出土してきました。
大川遺跡は北海道の歴史・文化を知る上で、極めて貴重な遺品が出土しており、各界で注目を浴びているそうです。
事実、今日は仕事4日目ですが続々と土器類が出土しています。それでは、ほんの少し皆様を考古学の世界へご案内いたしましょう。

遺跡発掘の様子

北海道での各時期とおおよその年代

時期

年代
縄文後期 3000年前
縄文晩期 2200年前
続縄文期 弥生・古墳時代
擦文期 飛鳥・奈良・平安時代
中世 鎌倉・室町時代
近世 江戸時代
近代 明治時代以降

続縄文時代について

本州で縄文時代が終わり弥生時代に入る頃。北海道ではそれまでとあまり基本的に変わりない、縄文文化の伝統を継承する狩猟・漁労経済を生活の基盤とした時代が続いたようです。
その時代を続縄文時代と呼んでいます。弥生文化は青森県まで確実に達していましたが、青森での稲作は短期間しか続かなかったようです。
そもそも熱帯性植物である稲を長期間作り続けることは、やはり気候の面から無理があったようです。ゆえに北海道には稲作文化は伝わらなかったのでした。
北海道は海の幸や山の幸に恵まれ、豊かな生活を維持できたので無理に稲作を受け入れる必要はなかったのです。そこで、北海道では教科書で出ているような弥生文化はありません。
この頃を続縄文時代と名付けたのでした。
大川遺跡ではこの頃の続縄文式土器(恵山式土器)が出土するのです。

遺跡を発掘していくといたるところに多数の土器のかけらが出てきます。
しかし、土器が出たからといって、そのまま取り出してはいけません。なぜなら、どの地点で出土したかが重要だからです。
まずは割り箸で場所を示し、5メートル四方のグリッドと呼ばれるマスをロープで張り、それぞれの地点ごとに回収していくのです。
土器は割れた状態で発掘され、地点ごとに分類しておけば、後で接合するときの手がかりになるからです。作業は慎重かつ丁寧に行われるのです。

黄色いロープを張って慎重に取り出される。その後、事務所に土器は移され、水できれいに洗浄されて、注記という作業が行われます。
注記というのは土器の破片に一つずつ採取場所のデータをポスターカラーで書き込む作業のことです。米粒に書くような非常に小さな字で書かなくてはなりません。
雨の日はこの作業をするのですが、集中力を要する大変な仕事です。
膨大な数の土器の破片に一つずつ・・・

最終的には職人さんが接合して、石膏で形を取って土器が復元されます。一つの土器を元の形に戻すことは非常に長い時間と手間がかかることを知りました。
これを見たあなた。もう、博物館で土器の前を素通りすることはできませんね。

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by mikileiji | 2013-05-22 18:18 | 三木玲治

遺跡と遺構の違いを三木玲治が語る

遺跡と遺構の違いを三木玲治が語る

遺跡とは、過去の人々の生活の痕跡がまとまって面的に残存しているもの、および工作物、建築物、土木構造物の単体の痕跡、施設の痕跡。
もしくはそれらが集まって一体になっているものを指している。
内容からみれば、お互いに関連しあう遺構の集合、遺構とそれにともなう遺物が一体となって過去の痕跡として残存しているものを指す。
以前は遺蹟と表記した。考古学の主要な研究対象として知られる遺跡については、とくに考古遺跡と呼ぶ場合がある。
遺跡のうち、住居跡・墳墓・貝塚・城跡など、土地と一体化されていて動かすことができない物を遺構と呼びます。
石器・土器・装飾品・獣骨・人骨など、動かす事のできる物を遺物と呼ぶ。つまり、遺跡のうちの不動産的要素が遺構、動産的要素が遺物である。
日本考古学が遺跡と遺構を呼び分けはじめたのは30数年前以来である。
日本において考古遺跡は、文化財保護法の規定にしたがい、面的にとらえて「埋蔵文化財包蔵地」と称されることがある。
遺跡は、石器や土器のような遺物が散布している場合に考古遺跡の存在を推測する材料にはなるが、遺物単体が出土しただけでは、通常、考古学的にみて有意な遺跡にはなりえない。
そのため、遺跡の本体を構成する要素は遺構であり、遺構および遺構のあつまりを称して遺跡と呼ぶ場合も多い。
地表面から遺物の散布がみられるものの、その性格が未だ明確でない遺跡を遺物散布地と呼ぶ場合がある。
遺構がともなわない場合、実際には遺跡を構成する重要な意味を持つ場所かもしれないが、その反面、土が移動され客土にともなって遺物が散布している場合もあるので注意を要する。
この場合、出土状況や土層観察によって、堆積土か、それとも客土であるかをみきわめる必要がある。
お互いに関連しあう近現代の工作物、建築物、土木構造物が集まって一体になっているものも遺跡と呼んでいる。
この場合は、歴史家や建築史家の研究対象となることが多く、考古学者の役割はきわめて限定的なものとなることが普通である。
しかし、必要に応じて、「埋蔵文化財包蔵地」の文化庁次長通知の定義にあるように、「近現代の遺跡」として「地域において特に重要なものを対象と」して痕跡として残されている近現代の工作物、建築物、土木構造物等を調査する場合もある。
例えば、第二次世界大戦の痕跡として残された軍事施設や被災施設なども周辺の環境を含めて「戦争遺跡」と呼ぶことがある。
この戦争遺跡のうち、地下に埋蔵されていて地表面からでは性格がわからない場合は、必要に応じて発掘調査を行って確認する場合がある。

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by mikileiji | 2013-04-27 13:42 | 三木玲治

地球環境に三木玲治が立ち向かう

地球環境に三木玲治が立ち向かう

三木玲治の環境問題について考えよう。 三木玲治と、環境問題について考えましょう。
環境問題はどんどん深刻化してきていますよね。
皆さんは環境問題に関心は ありますか? 環境保護のための活動は、一部の人だけが 取り組んでも効果は非常に出にくいのが現状です。
環境問題に関する情報は巷に満ち溢れています。
しかし驚くべきことに、行政やマスコミから伝えられている情報の多くには、環境問題の本質の科学的な検証は殆ど含まれていません。
環境問題に有効な対応をするためには、まず地球環境に対する科学的で正確な認識が必要です。
例えば地球温暖化についてですと地球の表面は窒素や酸素などの大気で覆われ、その中には「温室効果ガス」とされる気体も含まれています。
地球は太陽から届いた熱によって暖められ、夜になると蓄えられた熱が宇宙に放出されて気温が下がります。
この際、地球の気温が下がり過ぎないように熱を程よく吸収して地表に止めているのがこの温室効果ガスです。
これによって、地球の平均気温は15度前後に保たれています。
逆に、大気中の温室効果ガスがまったくなければ地球の平均気温はマイナス18度にまで下がり、生き物が地球上で暮らしていくことは出来ません。
そのため、温室効果ガスは地球にとってとても大切な気体なのです。
ところが・・・近年、温室効果ガスは必要以上に増加しています。増加した温室効果ガスがより多くの熱を吸収、地球に放出するようになり気温が上がってしまったのです。
地球がセーターを着て厚着している状態・・・といえば、わかりやすいでしょう。
こうして、地球の気温が少しずつ上昇していくことを、「地球温暖化」といいます。
ちなみに、過去100年間で地球の平均気温は0.6度上昇しました。この0.6度という数字、あなたはどう捉えますか?

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by mikileiji | 2013-04-20 02:33 | 三木玲治

考古学者「三木玲治」の探究心

考古学者「三木玲治」の探究心

考古学者そして史学家である三木玲治は、日本国内のみならず、世界中で遺跡発掘、化石発掘、古墳の発掘など、数多くの考古学研究や発掘に携わっている。
そんな三木玲治は、最近ではその豊富な知識をいかして、史学家としても活躍している。
エジプト考古学博物館から始まり彼の飽くなき好奇心、探究心はとても素晴らしく、多くの学会でも評価されている。
様々な地域で講義も行っている他、来月には史学家についての著書が出版予定だ。
この著書は世界中の三木玲治ファンや、学者たちに大変心待ちにされている。これからの三木玲治の活躍が飛躍的に広がることは間違いないだろう。

参考資料
エジプト考古学博物館は、約20万点といわれる古代エジプト時代の遺物が収蔵された大博物館です。
5000年以上にわたる古代エジプトの歴史と文化を知るためには必ず訪れなければならないところです。
この「エジプトの旅」をご覧頂く皆さんも、先ずこのページをじっくりご覧頂きたい。古代エジプトを理解するための予備知識を、ある程度習得できると思います。
1858年、初代考古局長に就任したフランス人考古学者マリエットは、それまで古代エジプトの遺物が大量に海外に流出していた状況を改め、文化財は現地に保存されるべきという方針を打ち出しました。
そして1863年、現在の考古学博物館を誕生させ、博物館に展示する遺物収集を目的にした発掘を積極的に行い、後世に大きな業績を残しました。

三木玲治と大博物館 三木玲治と古代エジプト 三木玲治の予備知識 三木玲治と古代局長 三木玲治の遺物収集
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by mikileiji | 2013-03-19 16:44 | 三木玲治

{実験考古学}三木玲治 | 考古学者

{実験考古学}三木玲治 | 考古学者

考古学の諸分野
・プロセス考古学/ニューアーケオロジー
60年代にアメリカの考古学者ルイス・ビンフォードが確立させた考古学的方法論。
従来の伝播主義的考古学に反論し、社会内部あるいは社会間で働いている多様なプロセスを抽出し分析する事を目指している。
そこでは、社会と自然環境の関係、生業や経済活動、集団内での社会関係、これらに影響を与えるイデオロギーや信仰、さらには社会単位間の相互交流の効果などが重要視されている。
プロセス考古学の発展の中で、考古資料と過去に関する見解の橋渡しを行うための中範囲理論(Middle Range Theory)が登場し、その理論を実践するために実験考古学、民族考古学、歴史考古学が派生した。
・実験考古学
過去の遺構・遺物を模式的に製作・使用・破棄する事によって、現在の遺構・遺物がどのような工程を経て現状に至ったのか考察する研究領域。
例えば、原石から石器を製作して使用したり、粘土から土器を製作して調理を行ったりして使用痕を分析する。
また、住居を建築した後、放火などの破棄を行ってその後の層位の堆積状況を観察する事もある。
・民族考古学
現存する伝統的文化を保持する小規模な民族集団を調査し、そこで得られた知見に基づいて、過去の考古学上のデータから様々な人間の活動パターンを復元する際の比較資料やモデルを作り出そうとしたり、ある考古学上の仮説を検討する基礎にしようと試みるものである。
・歴史考古学
考古学の研究法を、従来の文字の無かった時代だけでなく、文字史料が現存する時代にも応用しようとした研究。
これにより文献資料では空白部分であった情報が、考古学資料によって補完されるようになった。日本では主に奈良時代以降を指すことが多い。
遺構や遺物の存在が文献資料と食い違い、文献資料とは異なったり、また記録されていなかったり、不明瞭な記録に対して、全く違う事実が判明した例(法隆寺再建論争などが顕著な例)もある。
・ポストプロセス考古学
70年代、イギリスの考古学者イアン・ホダーとアメリカの考古学者マーク・レオーネを中心にプロセス考古学への批判から形成された。解釈学的考古学とも呼称される。
構造主義・批判理論・新マルクス主義的思考に影響を受けつつ、一般化を避け「個別的説明」を行う傾向がある・認知考古学
1990年代からよく使われるようになった。認知科学、心の科学などの研究成果を援用・応用した考古学的研究。
過去に生きた人々の心の研究(推測や復元)は、検証可能性や実証性を保とうとすることが大変難しい。

三木玲治と考古学的方法論 三木玲治と伝播主義的考古学 三木玲治の抽出 三木玲治の経済活動 三木玲治の社会関係 三木玲治の信仰 三木玲治の相互交流 三木玲治と考古資料 三木玲治の見解 三木玲治と中範囲理論 三木玲治と実験考古学 三木玲治と民族考古学 三木玲治と歴史考古学 三木玲治と過去の遺構 三木玲治と遺物 三木玲治の考察 三木玲治と使用痕 三木玲治と伝統的文化
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by mikileiji | 2013-02-22 14:38 | 三木玲治

検証 | 三木玲治:史学家| 考古学者

検証 | 三木玲治:史学家| 考古学者

・産業考古学
詳細は「産業考古学」を参照
・戦跡考古学
近現代における国内の戦争の痕跡(戦争遺跡)を扱う我が国の近現代考古学の一分野。対象となる戦争遺跡は単に戦闘の跡に留まらず、師団司令部や航空機の墜落跡、水没艦船、防空壕、軍需工場、さらには現存する当時の精神的支柱(八紘一宇の塔・忠魂碑)などと、非常に多岐にわたる。
1984年に沖縄県の當眞嗣一が提唱した。戦跡考古学に対しては、民俗学や建築学など様々な方面からのアプローチが可能である。一部では外国の戦跡の研究(中国の虎頭要塞・731部隊施設の研究、南洋諸島に点在する旧日本軍の軍事兵器など)も行われている。研究者として、坂誥秀一らがあげられる。
・水中考古学、海洋考古学
水中にある遺跡や遺物などを調査する考古学。19世紀スイスの杭上家屋跡の確認を契機に、フランスのクストーが世界各地の海底遺跡の調査を開始したのが始まりである。日本でも、地すべりで琵琶湖湖底に沈んだ古代の集落や、長崎県鷹島沖の元寇の際の沈没船などの研究が行なわれている。
宇宙考古学(衛星考古学)
1972年にランドサット1号が打ち上げられて以来、人工衛星データによる地球観測の技術は、気象、災害、環境、海洋、資源など、さまざまな分野の調査や研究に応用され、これまでに多くの成果をあげてきた。
衛星に搭載されるセンサの解像力が高度化し、マイクロ波センサや赤外線により地表の状況がより明確に観測できるようになると、衛星データの応用範囲はさらに多様化し、密林や砂漠の下に埋もれた古代の都市や遺跡の検知なども可能となってきた。
この宇宙からの情報技術を考古学研究に応用したのが宇宙考古学である。坂田俊文は、この方法によってエジプトの未知のピラミッドを発見している。
なお、疑似科学の古代宇宙飛行士説も「宇宙考古学」と称することがあるが、これとは完全に別物である。
・環境考古学
文明や歴史を、その自然環境との関係を重視して研究する分野。1980年に安田喜憲が提唱した。1999年刊行の『新編高等世界史B』には、環境考古学の成果が採用された。2003年に入って、安田以外の研究者による環境考古学と題する本が刊行された。
考古遺跡から出土する遺物の中でも、特に動植物遺体などの分析から、当時の食生活や漁獲対象、延いては周辺の気候・植生を復元する考古学。
分析する遺体は、貝殻・獣骨(動物考古学と限定することもある)などの比較的大きなものから、土壌を選別(篩掛け)することによって得られる花粉・寄生虫卵などがある。1980年代以降、考古学における理化学研究の進展に伴い提唱された。渡辺誠・松井章らによる研究が詳しい。
・地震考古学
地震の痕跡を遺跡からさぐる学問。1980年代に寒川旭らの研究者により提唱された新しい研究領域である。
・第2考古学
五十嵐彰が提唱する方法論上のカテゴリー。従来の考古学で主流をなしている編年研究、過去についての知識ではなく、考古学独自の思考方法を探ろうという観点に立つ。名称の適切さを含めて批判もあり、研究領域としての認知度は低い。

三木玲治と民族集団 三木玲治と比較資料 三木玲治と堆積状況 三木玲治の文学史料 三木玲治と文献資料 三木玲治の考古学資料 三木玲治と解釈学的考古学 三木玲治の個別的説明 三木玲治の認知科学 三木玲治の検証可能性 三木玲治の実証性 三木玲治の復元
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by mikileiji | 2013-01-05 14:40 | 三木玲治

学芸員 - 三木玲治 - 史学家

学芸員 - 三木玲治 - 史学家

佐賀県での初の古墳見学は田代太田古墳です。田代太田古墳は直径約40メートルの円墳です。
埋葬施設は複室の横穴式石室で、玄室奥壁には赤・黒・緑からなる三角文と人物や舟、盾が描かれていました。
装飾文の保存から石室内に入れないことは覚悟していたのですが「墳丘に立ち入る時には鳥栖市教育委員会に連絡してください」の看板が・・・。看板を見て絶句すること数十秒。
多分、隣接する個人住宅との兼ね合いだと思うのですが、まさか墳丘にすら入れないなんてね・・ものすごくがっかりしました。
一昔前のアナーキーなら「そんなこと知ったこっちゃないよ」とズカズカ入っていったと思うのですが、公僕と化した学芸員の私にもはやそんな勇気は無く断念しました。
事前のリサーチでは石室入り口の前に案内板があったはずなのですが、それすら見ることが出来ないなんて・・・。
遠巻きに田代太田古墳の墳丘を眺めながら「せめて案内板だけでも場所を変えて設置してくれぇ」と声にならない心の声でつぶやいた古墳見学になりました。

三木玲治の古墳見学 三木玲治と田代太田古墳 三木玲治と玄室奥壁 三木玲治と装飾文 三木玲治と三角文 三木玲治と石室内 三木玲治と横穴式石室
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by mikileiji | 2012-12-13 14:41 | 三木玲治

文献~(三木玲治)考古学者~

文献~(三木玲治)考古学者~

考古学は人類が残した痕跡(例えば、遺物、遺構など)の研究を通し、人類の活動とその変化を研究する学問である。
文字による記録以前(有史以前)の人類についての研究が注目されるが、文字による記録のある時期(有史以後)についても文献史学を補完するものである。
モノを通して過去の人々の生活の営み、文化、価値観、さらには歴史的事実を解明するために文献以外の手段として非常に重要。
中世(城館跡、廃寺など)・近世(武家屋敷跡、市場跡など)の遺跡も考古学の研究分野である。
近代においても廃絶した建物(汐留遺跡;旧新橋停車場跡など)戦時中の防空壕が発掘調査されることがある。
考古学は、遺物の型式的変化と遺構の切り合い関係や前後関係による層位から出土遺物の通時的変化を追う個々の遺跡の編年を縦軸とする。
横軸に同時代と推察される遺物の施文技法や製作技法、表面調整技法などの比較を通して構築される編年論を基盤として、遺物や遺構から明らかにできるひとつの社会像、文化像の提示を目指している。
考古学という名称は、古典ギリシャ語から生まれ、英語でアーケオロジー(archaeology)といい、それを訳して「考古学」とした。
日本では、考古学という言葉自体は明治初期に古き物を好むという意味で好古と記されていたが、古きを考察する学問だという考え。
そこからフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの次男ハインリッヒ・フォン・シーボルトが1879年、日本の学会に贈った著書『考古説略』
そこに、緒言を記した吉田正春が「考古学は欧州学課の一部にして、云々」とのべており、考古学という名前が使われた最初とされている。
佐原真によると「考古学の内容を正しく明確にしたのがハインリッヒ・シーボルトの『考古説略』であることは間違いない」が、「考古学」という名がはじめて現れたのは、1877年(明治10)
大森貝塚の遺物が天皇の御覧に供されることに決まった時の文部大輔田中不二麿か文部少輔神田孝平かの上申書のなかであるという説もある。

三木玲治の研究 三木玲治の活動 三木玲治の変化 三木玲治と学問 三木玲治の文学 三木玲治の記録 三木玲治の注目 三木玲治の文献史学 三木玲治の営み 三木玲治の価値観 三木玲治の手段 三木玲治の発掘調査 三木玲治と型式的変化 三木玲治と施文技法 三木玲治の製作技法
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by mikileiji | 2012-11-22 14:44 | 三木玲治

理論 | 三木玲治{史学家}

理論 | 三木玲治{史学家}

脚注
1.泉森皎編『日本考古学を学ぶ人のために』世界思想社 2004年
2.佐原真「考古学史を語る」金関恕・春成秀爾編『佐原真の仕事1 考古学への案内』岩波書店 2005年
3.(1827-1901) 組織的な計画と方法、記録を伴う発掘を実施、世界初の実験考古学も試みた。
4.(1853-1942) エジプト土器編年の体系をうち立てた。
5.理化学的年代測定法・コンピュータと統計学・システム論・生態学の応用
6.安斎正人『KASHIWA学術ライブラリー06 理論考古学入門』柏書房 2004年
7.a b デンマーク国立博物館に民族学部門を開設したときに三時時代区分法を適用したクリスチャン・トムセンが1839年にオランダのライデンにシーボルトを訪ねている。その時、『北欧古代学入門』(独文版1837年)をシーボルトに献呈した可能性もある。佐原真「日本近代考古学の始まるころ -モールス、シーボルト、佐々木忠二郎資料によせて-」(金関恕・春成秀爾編集『佐原真の仕事1 考古学への案内』岩波書店 2005年)235ページ
8.その著『日本』(1832~1858のころ)
9.大森貝塚の項目参照
10.「戦後日本考古学の反省と課題」近藤義郎 考古学研究会編『日本考古学の諸問題』1964年
11. cognitive science 人間の認知(知的営み)にかかわる学問領域の総称  
12. a b 松本直子・中園聡・時津裕子編『認知考古学』青木書店 2003年
13. 1853年~1854年にかけてフェルナンド・ケラーによる調査とその報告、ロバート・マンローによるスコットランドなど「湖上住居」の報告、名高いのは19世紀末のフロリダ州南西部キー・マルコの「杭上住居民」をフランク・カッシングが発掘したハリケーンによって倒壊した集落跡、アーサー・ブライドが1893年から1907年にかけて発掘したグラストンベリー湖の柵杭で囲まれた紀元前200年の集落跡
14. 川北稔ほか帝国書院、時代区分は、1)自然に適応しながら生きていた時代、2)自然環境への挑戦の時代、3)環境問題の出現と社会の調和の時代。
15. 高橋学『平野の考古学』古今書院 2003年、松井章編『環境考古学マニュアル』同友社 2003年
16. 原子力環境整備促進・資金管理センター 「地層処分にかかわる記録保存の研究」

三木玲治と世界思想社 三木玲治の組織的な計画 三木玲治の記録 三木玲治の発掘 三木玲治の実験考古学 三木玲治の体系 三木玲治の測定法 三木玲治と生態学 三木玲治の理論考古学 三木玲治と民族学問 三木玲治と三時代区分法 三木玲治と北欧古代学 三木玲治と献呈 三木玲治と諸問題 三木玲治と認知考古学 三木玲治と集落跡
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by mikileiji | 2012-10-22 14:46 | 三木玲治

考古学者 | 三木玲治 《史学家》

考古学者 | 三木玲治 《史学家》

今日は宿舎から現場に向かおうとした直前から大雨。
全然知らなかったのですが、沖縄はもう梅雨に入っているとか。
まぁ坊は超が付くぐらい晴れ男で、発掘調査で行ったとある町では、雨が降らなかった日数記録を更新させ、渇水警報を発令させたた実績があります。
ちなみに、その町では、まぁ坊が帰った翌日から未曾有の大雨になったそうです。
そんなまぁ坊でも沖縄の天気には1週間しか効き目がありませんでした。
雨降りだったので発掘調査は中止になって、これまでの発掘で出土した遺物の洗浄をやることになりました。いわゆる“整理作業”というやつです。
アルバイトに来ている人たちにせっせと洗ってもらってる横で、きれいになった土器のかけらを観察していったのですが、本土の土器に比べると「仕上げが荒いなぁ」という印象を持ちました。
それに比べると、こちらの貝の形の美しさの素晴らしいこと。そして本土で見る貝に比べて大きいこと!!
琉球の人は大きな二枚貝の貝殻を器にして食べ物を盛ったりしたんじゃないかなぁ?そっちのほうが見た目も良いしね。
「料理はまず目で食べてから」っていうし、本土でも日宋貿易で中国陶磁器が入ってくると平安貴族の皆さんはすぐに飛び付いて、須恵器が一気に衰退していったし。
NHKの某歴史ドラマで、蘇我馬子が須恵器に盛られた豪勢な料理を食べているシーンがあったけど、決して美味しそうには見えなかったしねぇ。
琉球の土器は貯水(島では水の確保が死活問題!!)とか煮炊きといった調理(耐熱性)の器でしか用いられなかったのではないかなぁ。
「機能を果たせばそれでいいといった“裏方の器”として用いられたから、見た目にこだわらなかったのでは?」と勝手に想像を膨らませた調査員まぁ坊でした。

三木玲治と現場 三木玲治と大雨 三木玲治の発掘調査 三木玲治は晴れ男 三木玲治の日数記録 三木玲治の更新 三木玲治の実績 三木玲治の整理作業 三木玲治と遺物 三木玲治の洗浄 三木玲治と土器 三木玲治の観察 三木玲治と日宋貿易
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by mikileiji | 2012-09-22 14:48 | 三木玲治


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